上の2つの動画、
一つ目は、建物の3階フロア位の高さから飛び降りて、
猫のように体をよじって着地し(多分自衛隊も使ってる5点式着地)、無傷で余裕な男の動画。
2つ目も同じパルクールチームがビルからビルへとガンガン飛び移る、まるで現代のリアル忍者の動画である。
私はコレを見た時に、「人間は研ぎ澄ますとここまで出来るのか!!」と驚愕し、
いかに自分が自分(というか人間の潜在能力)を低く見積もっていたかを思い知らせた。
あなたはマトリックスという映画を見た事があるだろうか?
映画では、ビルからビルへ人間がありえない跳躍力で飛び移るシーンがあるが、
あんなのは、映画やアニメの世界のキャラしか出来ない幻想だと思っていた。
でも、現実世界で普通の奴らが、
毎日子供が公園でやるような遊びを真剣にやり続けて研ぎ澄ませていった結果、
映画やアニメのキャラのような芸当が現実に出来るようになってしまったのだ。
例えば、カラスはよく電線や電柱のてっぺんに止まっているし、
猫も薄っぺらい塀の上でくつろいでいる。
なぜ奴らは、あんな所にいて恐くないのか?
落ちたらどうしようとか考えないのだろうと思っていたが、
理由は簡単で、彼らには
- 落ちない自信がある。
- 落ちても対処して、死んだり大怪我しない自信がある。
つまり自分の肉体をフルコントロール出来てる感覚があるのだ。
我々が逆にそんな所でものすごい恐怖を感じ、動けなくなってしまうのは、
自分の肉体をフルコントロール出来ていないからなのだ。
実際、上の動画の連中も、なぜ命綱なしに、
ビルからビルへ飛び移ったり、
一歩踏み外せば死ぬような細い縁の上に立ったりという芸当が出来るのかというと、
「ここまでなら自分は確実に飛べる」
「仮に足を踏み外して落ちても、手で縁に捕まってカバー出来る、落ちても壁キックや着地技でカバーできる。」
「狭い所でも、絶対に落ちる心配がないほどのバランス感を持っている」
という確固たる自信があるからなのだ。
そう猫やカラスが高所を怖がらないのと同じ感覚を身につけているのである。
自分の可能性を殺しているのは、誰でもなく自分自身
上のような動画は、実はYoutubeに山程あるし、
動画内でも入れ替わり違う奴が沢山出てくるし、
どれも単なる悪ガキ上がりがやっている事だ。
つまり、彼らの動画を見ていると、
彼らだけが特別才能があったというわけではなく、
誰でも練習すれば(出来ないという思い込みのリミッターを外せば)、
あれくらいすごくなれるという事。
もちろん人間には得意不得意があるが、
自分が好きな事、やりたい事に熱中していれば、
誰でも周りにすごいと思われるくらいの芸当は出来るようになるのである。
これは、仕事や勉強、趣味など、別に体ではなく、頭を使う事でも全く同じで、
自分がある程度周りからすごいと思ってもらえたり、お金を稼げるほどの能力になるか、
異性を惚れさせるほどの能力になるか、それともそこまでいかずに諦めてしまい、
「自分には何にも誇れるスキルがない。自分は何をやってもうまくならない」と思うかは、
ホント自分次第なのだ。
結局の所、どこでそれを辞めるか?がポイント
例えば、「逆立ちを出来るようになりたい」と思った時、
- とりあえず一瞬止まれるようになった所で、満足してやめるのか、
- それとも、そこから20秒くらい滞空できるようになるまで練習してやめるのか、
- それとも、そこから足を空中でバタバタさせたり、バク転したり、雑技団のようなスキルまで昇華させつつ、ずっと上達を一生続けていくのか、
これは、その人次第なのである。
例えば、私も英語を10年以上学んでいて、
海外に住んでた事もあるし、実際英会話を教える仕事もやっているのだが、
でも、私もまだまだ発展途上なので、今もずっと趣味として、
英語に触れ続けて学び続けている。
これは一生懸命やっているというよりは、とにかく趣味でやり続けている感覚で、
結局続ける事で、理解や技術が深まっていくわけで、
我々が日本語を毎日使う事で、日々新しい言葉、難しい言葉を習得し、使いこなしていくように、ようは、なんでも続けていれば、1ミリずつでも上達していくという事なのだ。
人間、上達しなくなってしまう原因は、
ある日突然パッとやめてしまうからである。
なんか飽きたとか、やる気がなくなったとか、もういいやとか、
なんとなく辞めてしまう。。
そうこれが誇れるスキルが一つも身につかない原因であって、
スキルを身に着けたかったら、
とにかく1ミリでも上達しようという気持ちで、
それを1日1分でもいいから、やり続ける、触れ続ける事。
もしくは、飽きてやめてしまったとしても、
またやり始めれば、すぐに感覚は戻るので、またやってみる事。
そうやって、過去の人生でチャレンジしてみて、
ああ、あれ楽しかったなぁ~とか、
ああ、あれちょっとはうまくなったよなぁ~って事があれば、
それを今またちょこちょこでいいのでやってみたり、触れてみたりするといい。
そうやって1ミリでも上達すれば、
それが自分のスキルになるし、お金にもなる。
それは本当に何でもよくて、
それこそブログを書き続ける事でもいい。
日々、続ける事に意味がある。
1つだけの事を続けていると飽きるだろうから、
複数の趣味を作って、それをグルグルやり続けるだけでも
十分スキルになっていく。
今すぐ一瞬ですごくなろうと思うから続かないだけ
一瞬で、上の動画のような達人になろうとすると、
ほぼ間違いなく続かないだろう。
私もなぜ英語を続けられているかというと、
あくまで好きだからなのである。
洋画を見たり、海外ドラマを見たりするのが好きだし、
実際に海外に旅行するのも好きなので、
ある程度英語が話せた方が楽しいので、続けているだけなのである。
もちろん、最終的にネイティブ並を目指しては行きたいものの、
そこに執着は無くて、一歩一歩、
知識や能力が上がっていけばいいかなぁという感じであって、
そうやって続ける事に意味があると感じている。
ブログも書き続けていれば、
広告収入が入るようになったり、そこからビジネスにつながったりもする。
とにかく続ける事。
そして1ミリづつでも上達しようという気持ちで続ける事。
本当にそれだけで、その趣味や楽しみが、
自分の自信にもなるし、スキルにもなるし、お金にもなる。
お金のためだけにやろうと思うと、
最初は稼ぎに繋がらないために、スキルになる前にやめてしまう。
そうではなく、「自分の人生の向上のため、生活の質の向上のため」という感覚で
それをやっていると、単純に上達を楽しめるようになる。
そうなると、それがあなたのスキルになったり、お金になったりする。
もちろん「これを続けていく事で、最終的にお金や仕事にもつながるといいなぁ、つなげていきたいなぁ」という気持ちは全然合っていいし、そういう気持ちがあった方が続けられるとは思うんだけど、
でも、「このスキルを身に着けて今すぐ大金を手に入れるんだ」みたいな感覚だと、現実にそのスキルでなかなかお金が入ってこなくて挫折する原因になりやすいので注意。
あくまで、「好きでやっている。趣味でやっている」という感覚が続けるために大事。
そして、その上達を妨げるのは、いつも自分の心の中にいる
もうひとりの自分だという事
そう、このハガレンの真理の扉の白い奴みたいな奴。
「お前には無理だ」
「もうコレ以上は上達しねぇよ」
「もうこんな所で十分だろ」
「お前には合ってないんだよ」
みたいに言ってくるもうひとりの自分。
そう、そいつが最大の敵であり、人生を不自由にする原因。
そんなムカつく奴の言う言葉はシカトして、
過程を楽しむ事。一流にならなきゃいけないとか、あいつくらいうまくならないとダメとか、そういう無意味なプレッシャーをかけるのではなく、「1ミリでも上達すればいいや、楽しめばいいや」と過程を楽しんでいれば、いつの間にか自分のスキルになっている。
過程を楽しむ。ただそれだけ。
人生は過程を楽しむためにあるので、
今という現実に集中していれば、人生は必ず思い通りになっていきます。